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時空 解 さんの日記

 
2020
11月 28
(土)
08:59
"習慣は第2の天性なり" と言うのは確かですね…書籍「諦める力」
本文
皆さんこんにちは時空 解です。

昨日は、数学の学習を怠りました。失敗です。
"まぁ今日は会社がお休みだし、あさやらなくても夕方には出来るだろう" とタカを括っていたのです。
でも、やっぱりやりませんでした。

"習慣は第2の天性なり" とは良く言ったものです。確かにそうですね。

天性を持った人、即ち才能を持って生まれた人は自然と努力も出来るものです。楽しみながらね。書籍「諦める力」にもとても納得のできる記述がありました。

第5章の節:あなたにとっての苦役は、あの人にとっての娯楽 より抜粋

「僕はきみたちより三倍も練習しているんだから、結果が出るのは当然のことだ」
ところが、三〇歳を超えて自分の競技人生が下り坂にさしかかってきたころから、努力することが苦痛に変わってきた。結果が出ない努力の何と苦しいことか。それを身にしみて感じるようになった。その感覚は、高校生のときに一〇〇メートルで伸び悩んでいたときの感覚とは、また違うものだった。

為末 大. 諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない (Kindle の位置No.1393).  . Kindle 版. 


"天性" と "努力することが出来る" 事とは深い相関関係が確かにあります。

走る事が生まれつき速い生徒に取っては、徒競走は楽しいし、体育の授業でタイム測定をする予定が有れば、数日前から走り込みをする生徒がいることを知っているでしょう。足の遅い生徒はこれが苦痛でしょうが、速い生徒は進んで出来ます。
数学に置き換えて見ても一緒です。解ける問題、解法がピンと来る生徒は数学の問題を解く事が楽しいですよね。ですから数学の学習も楽しい。
生まれつき才能を持っている者は、それに付いての努力も苦痛ではないのです。才能を持っていない者は同じ努力が苦痛です。それを実行する為には習慣化することが大事なんですよね。

中学レベルの数学の問題を解いている時は楽しかった。友人が「分からない」と言っている横で、私はその問題が大抵解けたのだから。
ちょっと解けない問題が出てきても、休み時間にその問題に取組んだものです。それは苦痛でもなんでもない、無心でした。

今振り返ってみると、私の数学の才能は、せいぜい中学レベルの数学なら授業を受けるだけで理解出来た、と言うレベルでした。
高校生になった時、授業だけでは付いて行けないと言う事実にどうして向き合わなかったのでしょうかね?

ちょっとした才能の芽を大切に出来なかった自分が、今では悔しいです。

では今日も休日を始めています。休日の充実こそ、人生の充実です。
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