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時空 解 さんの日記

 
2015
10月 12
(月)
23:00
「ゼロとは何なのか?」
本文

こんにちは、みなさん。秋が深まっていますね。秋の夜長、みなさんはどうお過ごしでしょうか?
私がこのサイトを始めた切っ掛けは、高校時代に数字の「0」に深く興味を持った事にあります。「0」( ゼロ ) に付いて考えていて、2つの「0」を想定できるのではないか、と言う事を思い付いた事に始まります。ちょっと突拍子もない話ですけどね。でもこれからお話する「0」( ゼロ ) に付いての考え方は私に取って、そのまま実在や存在に付いて考える事に通じています。

存在、実在に付いての疑問・・・どうしてこの世は出来ているのか、宇宙にある物質はどこから来たのか?今回の梶田隆章さんのノーベル物理学賞で「宇宙の物質の起源」の究明にまた一歩近付いた事もあり、私の想いはひときわです。「0」( ゼロ ) を通しての物質の存在の究明、そんな究明を「大学受験が終わったら、時間に余裕が出来たら始めよう」といつも頭の片隅で思っていたものです。そして50歳も半ばに来てやっと、その時間を手に入れる( 取る気持ちになった )事が出来るようになってきました。いやいや、自分自身に向き合う事が出来るようになった、と言った方が正しいかも知れませんが、まぁこんな事はどうでもいい事ですね。

さて、存在の探求に関わって、私が解明したい疑問をざっと並べてみるとこんな感じです。

「ゼロとは何なのか?」
「時空とは何なのか?」
「温度とは何なのか?」
「生命とは何なのか?」
「記憶とは何なのか?」
「感覚とは何なのか?」
「人間の思考は分割と組み合わせで成り立っているように思えるが…」
「人間同士はどうして同じ説明で "解った" と同じように納得できるのだろうか?」

高校時代に漠然と疑問に思った「自分の存在はどこから?」と言う内容は、今では上記のように分割され複雑に絡み合ってしまっています。しかし千里の道も一歩からです。現時点での自分の考えを、少し文章にする事で、頭の中を整理して事にしました。どうぞご興味のある方は読んでやってくださいね。

今日は、「ゼロとな何なのか?」に付い書いてみます。
個性的な考え方なので初めての方は変に思われると思いますが、しかし時間と空間、そして記憶によって物事を感知している私たちに取っての「ゼロ」と言う概念、または言葉は
「宇宙が始まる以前の状態と対応させるには相応しくない」
と言う事は理解して頂けるかと思います。つまり、
「宇宙が存在していない状態 = 「ゼロ」の状態」
と思うのは安易である、と言う事です。

そもそも言葉とは曖昧なものです。赤色と言っても人によってその赤さ加減は違います。夕焼け空の赤やりんごの皮の赤さ加減。赤緑色盲(せきりょくしきもう)の方が言葉にする「赤色」と言う言葉。みなそれぞれです。
物理学的に赤と言う色の光の波長は 610nm~750nm ( nm:ナノメートル ) です。ニュートンが世界にどうして色が付いているのか、その謎をプリズムによるスペクトル現象より導びく以前は、赤色と言う言葉の定義も人々の暗黙の了解の上に立った曖昧なものでした。それに物理的な光の波長による定義も、会話の中では意味がない時が多々あります。会話の中にはいつでも「私には赤く感じられた」と言う言い回しにも代表されるように、決して「赤色」は波長 610nm~750nm ( nm:ナノメートル ) を意味している訳ではないのです。しかし人はみな、この事をあまり気にせずに生活をしています。
「0」の定義に付いて考えるとき、正確に定義して使おうとしている範囲は「数学」に限られるのではないでしょうか?
その事を意識していないと、私たちは義務教育で学ぶ算数、数学に出てくる記号「0」と、物理学上でよく言われるエネルギー量ゼロ、それと宗教で使われる「無」や「空」とを全て混同してしまいがちだと思います。
宇宙の始まりを論ずる時にエネルギー保存の法則と言う物が立ちはだかります。宇宙全体のエネルギーはいったいどこからやって来たのか?と言う疑問です。これはよく耳にする事ですよね。時間軸に沿ってどんどんと昔に戻って行くと、宇宙の起源はテニスボールにも満たない大きさの、しかし現在と同じエネルギー量をもったとてつもなく密度の高い状態の物だったと推論されています。この「テニスボールにも満たない高密度の物は、いったいどこからやってきたのでしょうか?」と言う問いを考える時に、
「全宇宙のエネルギー(全物質量)の前となると、このテニスボールが無い状態…何も無い状態か…。ゼロから何か生まれるか?」
と、数学記号になれた脳は、「0」をイメージして思考停止の陥いります。エネルギー量「0」と言う物量定義を思い浮かべて、
「何も生まれるはずがない、不思議だ。」
と考えてしまうのではないでしょうか?
宇宙が出来る前の状態は、人間の脳はおろか、脳を構成する物質も存在していないのです。なので宇宙の前の状態を考える時は、人間の知性、知的推論の枠組みを考慮すべきでしょう少なくとも言葉のイメージ「0」に振り回されないように気をつけるべきです。

そもそも物質とは何か、それも問題です。一般に言えば手で触れる物、人間の身体と相互作用するものです。でもニュートリノのように殆ど物質と相互作用しない素粒子もあります。物質をエネルギー量に変換にするアインシュタインの有名な方程式
E = m×c×c
この式を始めてみた私は「物質がエネルギー?あの位置エネルギーと同じような?」と首を傾けた記憶があります。エネルギーって、「物」ではないですよね?
ともかく昔の偉人、アルキメデスに始まりニュートンに至って、時間と空間を規準に物の動きを数式化したところから、人の思考は時空の枠に囚われています。と言うよりも時空を規準にシンプルの物を捉える事が出来るようになった訳ですが…この枠組みを疑う研究もあっていいとおもいます。ゼロを疑う。時間を再定義してみる。距離とは何かを考えてみる。そんな事に思いをはせます。

今日は高校時代に疑問に思った「ゼロ」に付いて書いてみました。
では今日はこのへんで。


異端の数ゼロ


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