時空 解 さんの日記
2020
12月
29
(火)
10:23
本文
皆さんこんにちは、時空 解です。
昨晩「たけしの新世界七不思議大百科第8巻」を観ました。始めはなんとなく観ていたんですが、面白かったですね。
少年王、ツタンカーメンには特に興味を持ち合わせていませんでしたが、印象的だったのがやはりツタンカーメンの王墓に関することです。
ツタンカーメンの王墓、いわゆるお墓ですね。これが他のファラオ (古代エジプトの君主の称号) の物と比較するとかなり小さいと言う事実に、まず驚きました。
王墓と言うのは、新しくファラオが王に即位した時に、そのファラオ専用の王墓を造り始めるものなのだそうです。ですから、王墓の大きさは王としての在任年数に比例して大きい物になるとのこと。ツタンカーメンが王として在籍していた年数は約10年間。この間ずっと専用王墓は造られ続けるのですから、その年数分大きな物になるのです。でも実際にツタンカーメンのミイラが安置されていた王墓は、入口から棺までの長さ、約30メートル…。他の10年在任年数の王墓 (例えばラムセス四世の王墓だったかな?) の物は100メートルあるそうなんです。
これはおかしい。
それと棺につながる地下階段を降りると、突き当たって右に曲がっている点。
これにも驚きました。
古代エジプトに興味を持っていらっしゃる方達には常識なのかも知れませんが、これってファラオが女性の場合に施される構造なんですってね。
うーむ…ツタンカーメンって少年王と呼ばれていたと想うのですが、少女王?
どうして女性の王墓の構造の中にツタンカーメンのミイラが埋葬されていたの…? と言うことになりますが、まぁこの点は実際に「たけしの新世界七不思議大百科第8巻」の繰り返しになってしまいますので割愛いたします。それに私の記憶で書いていますからね。番組の内容を正確に伝えられるかと言えば自信がありません…録画しておけば良かったのですが、すみません…。m( _ _ )m
ところで、この「たけしの新世界七不思議大百科第8巻」を観て個人的に一番納得した点は、この番組の本題とは違うところにありました。
私が初めて理解したことは、どうしてこんなに王墓を絢爛豪華に造る必要があったのか?
と言う点でした。
古代エジプトと言えばピラミッド。
若い頃は、どうしてこんな大掛かりな物を造ったのか?と言うところですね。学校で
「古代エジプトの人は死後の世界を信じていたから」
と聞いてはいましたが、その深い意味を理解できてなかったのです。
まぁ宗教的な事なのだと言うイメージは持っていましたが、この歳になってピンと来たことがありました。
死後、その王墓が自分の生活する場所になる。
と信じていたからなんでしょうね。
ツタンカーメンが王だった時期、エジプトは多神教から一神教に一次的に変化しています。これはツタンカーメンの父が行った宗教改革による物だったそうです。ツタンカーメンの死後はまた多神教に戻ったのですが…その点にもとても興味をそそられましたが、ともかく多神教にせよ一神教にせよ、死後の世界が存在すると信じられていた訳です。
ですから、王の役目を終え、その後に待っている死後には絢爛豪華な自分の居場所が欲しい…となるのですね。
これは生きている時にエジプトの為、エジプトの民の幸せの為に自分を犠牲にしてまでも王の役目を果たした、その代償と言うことなのかも知れません。
死後の世界が信じていられていたからこそ、生きて行く事が苦しくても頑張っていられたのだなぁと感じた次第です。
学生の頃はこんな想いは実感できません。歳を取って死をまじかに感じ始めている今だからこそ実感できたことです。
今、60才になった私が数学の学習をしていますが、死後の世界も王墓で暮らせると信じるならば、とっても数学の学習に力が入るでしょう。だって今行っている学習努力が死んでも、そこで終わりにはならないのですから。王墓の中で続けられるのですからね。
いずれ数学をマスターし、物理学もマスターして標準理論の数式を理解できることでしょう。いずれは実在の証明もできるかも知れません。死後の世界の存在も、有るか無いかを明白にできるかも知れませんね。
おっと!
…死後の世界は「意識とは何か」が判らないことにはどうにもならない気もしますが…
まぁともかくこんな事を考えながら観ていました。
では今日も休日を始めています。休日の充実こそ、人生の充実です。
昨晩「たけしの新世界七不思議大百科第8巻」を観ました。始めはなんとなく観ていたんですが、面白かったですね。
少年王、ツタンカーメンには特に興味を持ち合わせていませんでしたが、印象的だったのがやはりツタンカーメンの王墓に関することです。
ツタンカーメンの王墓、いわゆるお墓ですね。これが他のファラオ (古代エジプトの君主の称号) の物と比較するとかなり小さいと言う事実に、まず驚きました。
王墓と言うのは、新しくファラオが王に即位した時に、そのファラオ専用の王墓を造り始めるものなのだそうです。ですから、王墓の大きさは王としての在任年数に比例して大きい物になるとのこと。ツタンカーメンが王として在籍していた年数は約10年間。この間ずっと専用王墓は造られ続けるのですから、その年数分大きな物になるのです。でも実際にツタンカーメンのミイラが安置されていた王墓は、入口から棺までの長さ、約30メートル…。他の10年在任年数の王墓 (例えばラムセス四世の王墓だったかな?) の物は100メートルあるそうなんです。
これはおかしい。
それと棺につながる地下階段を降りると、突き当たって右に曲がっている点。
これにも驚きました。
古代エジプトに興味を持っていらっしゃる方達には常識なのかも知れませんが、これってファラオが女性の場合に施される構造なんですってね。
うーむ…ツタンカーメンって少年王と呼ばれていたと想うのですが、少女王?
どうして女性の王墓の構造の中にツタンカーメンのミイラが埋葬されていたの…? と言うことになりますが、まぁこの点は実際に「たけしの新世界七不思議大百科第8巻」の繰り返しになってしまいますので割愛いたします。それに私の記憶で書いていますからね。番組の内容を正確に伝えられるかと言えば自信がありません…録画しておけば良かったのですが、すみません…。m( _ _ )m
ところで、この「たけしの新世界七不思議大百科第8巻」を観て個人的に一番納得した点は、この番組の本題とは違うところにありました。
私が初めて理解したことは、どうしてこんなに王墓を絢爛豪華に造る必要があったのか?
と言う点でした。
古代エジプトと言えばピラミッド。
若い頃は、どうしてこんな大掛かりな物を造ったのか?と言うところですね。学校で
「古代エジプトの人は死後の世界を信じていたから」
と聞いてはいましたが、その深い意味を理解できてなかったのです。
まぁ宗教的な事なのだと言うイメージは持っていましたが、この歳になってピンと来たことがありました。
死後、その王墓が自分の生活する場所になる。
と信じていたからなんでしょうね。
ツタンカーメンが王だった時期、エジプトは多神教から一神教に一次的に変化しています。これはツタンカーメンの父が行った宗教改革による物だったそうです。ツタンカーメンの死後はまた多神教に戻ったのですが…その点にもとても興味をそそられましたが、ともかく多神教にせよ一神教にせよ、死後の世界が存在すると信じられていた訳です。
ですから、王の役目を終え、その後に待っている死後には絢爛豪華な自分の居場所が欲しい…となるのですね。
これは生きている時にエジプトの為、エジプトの民の幸せの為に自分を犠牲にしてまでも王の役目を果たした、その代償と言うことなのかも知れません。
死後の世界が信じていられていたからこそ、生きて行く事が苦しくても頑張っていられたのだなぁと感じた次第です。
学生の頃はこんな想いは実感できません。歳を取って死をまじかに感じ始めている今だからこそ実感できたことです。
今、60才になった私が数学の学習をしていますが、死後の世界も王墓で暮らせると信じるならば、とっても数学の学習に力が入るでしょう。だって今行っている学習努力が死んでも、そこで終わりにはならないのですから。王墓の中で続けられるのですからね。
いずれ数学をマスターし、物理学もマスターして標準理論の数式を理解できることでしょう。いずれは実在の証明もできるかも知れません。死後の世界の存在も、有るか無いかを明白にできるかも知れませんね。
おっと!
…死後の世界は「意識とは何か」が判らないことにはどうにもならない気もしますが…
まぁともかくこんな事を考えながら観ていました。
では今日も休日を始めています。休日の充実こそ、人生の充実です。
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