時空 解 さんの日記
今日の朝は数学の確率問題と関連するファインマン物理学の「第1巻 第6章 確率 6-1 チャンスと見込み」を読み進めました。
うーむ…要約するのが難しかったので、ポイントを箇条書きにしてみました。(以前に戻ってしまいましたが… ( ^^; )
ともくか "確率" というものは、同じ観測が繰り返し可能であることと、我々の知識や主観に依存したところがある、と言うことが書かれています。
これにはなかなか目からウロコが落ちる想いでした。
第6章 確率 6-1 チャンスと見込み
・確率論というのは、よりよい推量をするための体系である。ある状態があって、それは非常に変動はするけれども、平均的には一定の性状をもっているというような場合に、確率ということで考えると、話を量的に進めることができるのである。
・確率という言葉を使っていいのは、問題とする事象が、くりかえしのきく観測の結果として生ずるというときのみに限るということである。"あの家に幽霊のいる確率はいくらだろうか?" という問いを出しても、それに意味があるかどうかははっきりしない。観測というものは、必然的に、少なくとも、別の時に、あるいは別の場所で行われるのである。せいぜいいえることは、"繰りかえしのきく" 観測というのは、いま我々が目的としているところでは、同等であるとみなされるものでなければならぬということである。おのおのの観測は、少なくとも同等にしつらえられた状況の下でおこなわれねばならず、また特に同じ無知の程度のところからはじめなければならない。(トランプをしていて相手の札をこっそり見たとすれば、自分が勝つチャンスの見積もりは、見なかったときとは変わってくる!)
・要するに確率は常識によるのである!確率というものは我々の無知の程度に依存するのだから、我々の知識が変われば確率も変わるのである。
・確率の定義にまた "主観的" の面があることに諸君は気付いたろうと思う。
・第5章において、原子核の大きさを、そのみかけ上の面積、すなわち断面積によってあらわした。これは実は確率の問題だったのである。物質の薄い板に高エネルギーの粒子をうちこむとき、つきぬけるチャンスもあり、また原子核にあたるチャンスもある。(原子核は非常に小さくて目には見えないから、それにねらいをつけることはできない。"めくらうち" をしなければならないのだ) この板のなかに原子が $ n $ 個あり、おのおのの原子の角の断面積が $ \sigma $ であるとすると、原子核で "影になる" 総面積は $ n \sigma $ ゛ある。勝手なうちこみを多数 $ N $ 回こころみれば、どれかの角にあたるチャンス $ N_c $ が $ N $ に対する比は、影の面積が板の総面積に対する比に等しいと考えられる。
$ \displaystyle { \frac{ N_c }{ N } = \frac{ n \sigma }{ A } } $
だから、どれか一つの粒子が板をとおりぬける間に衝突という目にあう確率は
$ P_c = \displaystyle \frac{ n }{ A } \cdot \sigma $
であるといえる。ここに $ \displaystyle \frac{ \sigma }{ A } $ は板の単位面積にある原子の数である。
指摘されれば、確かに第5章で原子核の大きさを求めた時に "常識的に考えて" と言う前提のもとに数式を立てていますよね。
私の箇条書きの要約は、やっぱり本文の内容を削ったものになっています。ぜひとも実際の文章「ファインマン物理学」に目を通して頂くことをお勧めします。
では今日も1日の習慣を始めてます。小さな一歩・挑戦を試みています。
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