時空 解 さんの日記
2022
7月
23
(土)
09:35
本文
皆さんこんにちは、時空 解です。
昨日のブログの内容は尻切れトンボでした。その理由は私の頭の中が混乱していたからです。 m( _ _;)m すみません。
数学の参考書、青チャート式数学を学習し始めて、2年と2ヶ月が経過していますが、最近では
「数学って難しいなぁ」
と、実感するばかりです。
私が "数学が難しい" と感じたその一つの理由として、
・中学生の時に獲得したイメージで数学を見ようとしている
そんな姿勢で問題を解いていたことにあるかも知れません。
中学の頃のイメージと言うのは、こんなイメージです。具体例として、表題にも書きました
「階段の段数が奇数か偶数かを知るための方法」
を挙げてみましょう。
階段の段数が偶数か奇数かを求める方法としては、
・段数を全て数えて、その数値が偶数か奇数かを確認する
これが一般的な方法です。
でも、この解法だと、お寺にある長い階段の場合だと大変ですよね、数が多いですから。
それに数え間違いを起こす可能性も出てきます。
そこで、新しい「解法・考え方」が有れば良いことになりますが…例えばこんな「解法・考え方」です。
・お寺にある長い階段を登り始める時に、自分の足のどちらを1段目に上げたか、覚えておく。(例えば "右足" と決める。それに加えて、段を飛ばして足を運ばないようにする)
と言うものです。
こうすると、最後に階段を登り切った時の自分の足が右足か左足かで、偶数段が奇数段かが分かりますよね。
さて、みなさん。
この新しい「解法・考え方」をどう思われますか?
確かに、ずっと段数を数える必要が無く、ただ段を飛ばさないように注意していれば良いので周りの風景を楽しみながら、または友人とお喋りを楽しみながら階段を登ることができますよね。でもねぇ…
この「自分の足のどちらを1段目に上げたかを覚えておく」と言う方法を、数学的だと感じるでしょうか?
数学的かなぁ…と言うことに、私はとても抵抗を感じていた次第なんです。
さて、この2年と2ヶ月の間に
「自分の足のどちらを1段目に上げたかを覚えておく」
的な解説だなぁと感じることが「青チャート式数学」を学習していて、時々有ったんですよね。
それで中学の時にもっていた数学に対するイメージがずいぶんと壊されてきたのですが…
例えば、絶対値記号の使いかたなんてそうです。$ x $ の1次方程式だったら通常は1つしか正しい値は出てこないのに、絶対値記号が入ってくると、2つになっちゃいます。
うーむ…なんだかスッキリしない。
例えば、点Aと点Bを $ m : n $ に内分点とか外分点を求める時に、「たすき掛け」とか、外分の時には $ n $ にマイナスを付けましょう。
うーむ…なんだか取って付けたような公式だ。
とね。
でも、最近では
「自分の足のどちらを1段目に上げたかを覚えておく」
と言う方法を数学的だと受け入れることも大切なんだなぁと思うようになって来ています…。
自分は中学の時の自分にこだわっていて、中学時代の数学のイメージを大切にしているところが有ります。でも、これが高校数学の学習を素直に進められない理由になっているようです。
みなさんは中学の数学と高校の数学。どんなイメージの違いを感じていらっしゃいますかね?
うーむ…とにかく数学の学習を続けること自体が、私に取ってはなかなか難しいことです。
では今日も1日の習慣を始めてます。小さな一歩・挑戦を試みています。
( ブログのコメント欄は 2022-04-16 に閉鎖いたしました )
昨日のブログの内容は尻切れトンボでした。その理由は私の頭の中が混乱していたからです。 m( _ _;)m すみません。
数学の参考書、青チャート式数学を学習し始めて、2年と2ヶ月が経過していますが、最近では
「数学って難しいなぁ」
と、実感するばかりです。
私が "数学が難しい" と感じたその一つの理由として、
・中学生の時に獲得したイメージで数学を見ようとしている
そんな姿勢で問題を解いていたことにあるかも知れません。
中学の頃のイメージと言うのは、こんなイメージです。具体例として、表題にも書きました
「階段の段数が奇数か偶数かを知るための方法」
を挙げてみましょう。
階段の段数が偶数か奇数かを求める方法としては、
・段数を全て数えて、その数値が偶数か奇数かを確認する
これが一般的な方法です。
でも、この解法だと、お寺にある長い階段の場合だと大変ですよね、数が多いですから。
それに数え間違いを起こす可能性も出てきます。
そこで、新しい「解法・考え方」が有れば良いことになりますが…例えばこんな「解法・考え方」です。
・お寺にある長い階段を登り始める時に、自分の足のどちらを1段目に上げたか、覚えておく。(例えば "右足" と決める。それに加えて、段を飛ばして足を運ばないようにする)
と言うものです。
こうすると、最後に階段を登り切った時の自分の足が右足か左足かで、偶数段が奇数段かが分かりますよね。
さて、みなさん。
この新しい「解法・考え方」をどう思われますか?
確かに、ずっと段数を数える必要が無く、ただ段を飛ばさないように注意していれば良いので周りの風景を楽しみながら、または友人とお喋りを楽しみながら階段を登ることができますよね。でもねぇ…
この「自分の足のどちらを1段目に上げたかを覚えておく」と言う方法を、数学的だと感じるでしょうか?
数学的かなぁ…と言うことに、私はとても抵抗を感じていた次第なんです。
さて、この2年と2ヶ月の間に
「自分の足のどちらを1段目に上げたかを覚えておく」
的な解説だなぁと感じることが「青チャート式数学」を学習していて、時々有ったんですよね。
それで中学の時にもっていた数学に対するイメージがずいぶんと壊されてきたのですが…
例えば、絶対値記号の使いかたなんてそうです。$ x $ の1次方程式だったら通常は1つしか正しい値は出てこないのに、絶対値記号が入ってくると、2つになっちゃいます。
うーむ…なんだかスッキリしない。
例えば、点Aと点Bを $ m : n $ に内分点とか外分点を求める時に、「たすき掛け」とか、外分の時には $ n $ にマイナスを付けましょう。
うーむ…なんだか取って付けたような公式だ。
とね。
でも、最近では
「自分の足のどちらを1段目に上げたかを覚えておく」
と言う方法を数学的だと受け入れることも大切なんだなぁと思うようになって来ています…。
自分は中学の時の自分にこだわっていて、中学時代の数学のイメージを大切にしているところが有ります。でも、これが高校数学の学習を素直に進められない理由になっているようです。
みなさんは中学の数学と高校の数学。どんなイメージの違いを感じていらっしゃいますかね?
うーむ…とにかく数学の学習を続けること自体が、私に取ってはなかなか難しいことです。
では今日も1日の習慣を始めてます。小さな一歩・挑戦を試みています。
( ブログのコメント欄は 2022-04-16 に閉鎖いたしました )
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